【体験談】息子のアナフィラキシーショックとエピペン注射
『初めてのアナフィラキシーショック』
0歳児から発症した食物アレルギーとの付き合いは、もう18年になろうとしています。
息子が初めてアナフィラキシーショックを起こしたのは、生後5~6ヶ月の時。
二人目だったこともあり、油断して少し早い月例で、小麦粉のお菓子を与えてしまいました。
食べて30分程度経過した後に途端に機嫌が悪くなり、顔や体を掻きだしました。
初めての経験だったので理由がわかりません。なぜ機嫌が悪いのか分からず、ずっと抱っこをしてあやしました。
それでもさらに顔や身体を掻きだし、時間が経過するにつれ機嫌は悪くなる一方。その後顔や体じゅうに、赤い蕁麻疹が出てきました。
「これはただ事ではない・・・」とやっと気付き、夜だったので夜間の救急病院に急いで連れて行きました。
診断は、『アナフィラキシーショック症状』。当時、アナフィラキシーショックと言われても知識もなく何が起こったのかわかりませんでした。
対処として、すぐ点滴をしていただきました。顔や身体の蕁麻疹はなかなか消えず、1週間ほど治るのにかかりました。
この時の症状は、身体中の蕁麻疹で気管狭窄はありませんでした。万が一気管が狭まっていたら、死の危険性もあったとあとで知り、ぞっとしています。
『血液検査』
その後、息子は食物アレルギーの可能性が高いということで、血液検査をしてみました。
その結果、検査した項目全ての食物にアレルギー反応が出ており、その中でも特に小麦・卵には異常に高い数値でした。
元々私自身がアレルギー体質だったため、一人目の子の時はとても心配していました。それでも何もでなかったので安心していましたが、下の子にこんなに強いアレルギー反応が出るとは・・・。
その時のショックは相当なもので、息子に申し訳なく自分を責め苦しみました。どうにか治してあげたいと、いくつも病院にもかかり、民間療法もいくつも試してみました。(今、思い出すとこれで治るはずがないという内容のものも多く試しました。藁にもすがる思いとは、このことです。)
それまでは母乳と粉ミルクの混合哺育でしたが、私も除去食をしないとアレルギー反応が再度出る危険がありました。また息子の場合、アレルギーの種類も多く全てを除去して母乳で育てるのは難しく、お医者さんとも検討した結果、アレルギー専用の粉ミルクで育てることになりました。
お世辞にも美味しそうな香りのしないアレルギー用の粉ミルクも、息子はどうにか飲んでくれ、(食欲もあまり旺盛な方ではなかったのですが)少しずつ成長していきました。
息子は、小麦と卵には強いアレルギー反応が出ていましたが、お米や大豆、乳製品にアレルギー反応が出なかったので(血液検査では反応は出ていましたが)少しずつ離乳食も食べさせることができました。それだけでも随分と助かりました。
しかしながら、小麦と卵は完全除去。その後の食事も除去食を作る必要があり、また私自身料理があまり得意な方ではなかったので、何を食べさせて良いのか悩む日々が続きました。
(18年かけて少しずつ増えてきたアレルギーフリー食こちらでご紹介しています!)
『二度目のアナフィラキシーショック』
その後も一度保育園で、小麦であるうどんを誤食しアナフィラキシーショックを起こしたことがありました。当時は保育士さんもあまりアレルギーには詳しくなく、症状が出ても原因がわからずただ単に機嫌が悪く治らないと困惑したようでした。命の危険までの症状が出なかったのが幸いでした。
また、小学5年の時に、もうそろそろ卵も大丈夫なのでは?との勝手な判断で、卵入りのハンバーグを食べさせて(アファフィラキシーショックまではいかなかったものの)嘔吐し、全身に蕁麻疹が出る経験をしました。
それ以外にも軽い症状のアレルギー反応は、何度も起こしていました。
その時は、セレスタミンという薬を飲み対処します。
これまでは、アレルギー症状のある食物を食べて、蕁麻疹などもアレルギー反応がでていましたが、その中でも少しずつ小麦製品が食べることができるようになりました。
小麦そのものは、まだまだ難しかったのですが、餃子や、薄いクリスピータイプのピザなどは少しであれば、食べることが平気になってきました。
それだけでも息子自身は、随分と喜んでいました。
『新たなアレルギー反応、食物依存性運動誘発アナフィラキシー』
少しずつ小麦製品を解除できつつあった時のことです。中学1年生のある日、餃子を少し食べ2時間程度経った後に、持久走の練習をしたことがありました。
するとみるみる蕁麻疹が身体中に出て、気管も狭くなってしまい苦しく危険な状態に。身体中痒がり、またケンケンという咳が止まらず、呼吸が苦しそうです。
すぐに救急車で搬送してもらい、すぐに近くの病院で処置をしていただきました。点滴で危険な状態を脱することができました。
今までのアレルギーの出かたと違い、のちに調べると「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」を起こしたことがわかりました。
小麦を摂取し、激しい運動をしたことで息子はアナフィラキシーショックを起こしました。
今回は、アレルギー反応で気管も狭くなってしまい、呼吸も苦しくなり命の危険もありました。
『中学1年からエピペン処方』
これをきっかけにエピペンを所持することになりました。
”エピペン注射液とは、医師の治療を受けるまでの間、アナフィラキシーショック症状の進行を一時的に緩和し、ショックを防ぐための補助治療剤”です。
このエピペンを常に所持し、万が一アナフィラキシーショック症状が起きた場合、太ももなどに注射をして応急処置をすることができるようになりました。(以前は、学校内でアナフィラキシーショックが起きても本人しか打つことができず、我々(先生)は打てませんと言われていました。その後先生方も研修を受け、本人が打つことができない場合は、先生が打ってくださることに。少しずつアレルギーの認知も広がってきているようです。)
エピペンを所持して5年ほど経ちますが、幸いまだ打つ経験はありません。
1年に一度交換する必要がありますが、処方してくださっているのは、0歳からずっとお世話になっている小児科です。
息子も高校3年生になり、卒業まであと数ヶ月になりました。
今回の処方で、18年間お世話になった小児科も卒業することになりました。
小児科なので高校入学時にも、他の内科に変わることも検討しましたが、息子の今までの経緯を詳しく知ってくださっているお医者さんなので、「高校までは診ますよ。」と言ってくださっていました。
まだまだアレルギー症状も完治していませんし、これからも除去食を作り続けますが、少しずつでも症状が軽減していくことを祈るばかりです。
息子同様、アレルギーに苦しんでいるお子さんや、親御さんもたくさんいらっしゃると思います。
息子も18年間このアレルギーと付き合ってきましたが、悲観ばかりしていても治るわけではないので、自分の食べることができる物を理解し、上手くこの大変なアレルギーと付き合っていくことが必要です。
高校を卒業するとさらに行動範囲や外食回数も増え、難しいことも多いと覚悟はしていますが、今からは息子本人がしっかりと自覚し、自分自身で身を守っていってくれたら。と切に願っています。